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じょじょ’s blog

日々の暮らし<山歩き、高山植物、草花、生き物、神社仏閣etc>、

☆京都洛北:銀世界の寂光院

 

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京都駅から地下鉄烏丸線 ⇒ 国際会館駅 京都バス ⇒ 大原バス停下車

 一面美しい銀世界☆

三千院の前に寂光院に先に参ります、約1km(雪道で20分位)

 

 

 

 

 

 

 

寂光院 本堂  ②千年姫小松  汀の池  ④雪見燈籠

建礼門院御庵室跡  ⑥諸行無常の鐘楼  ⑦四方正面の池

建礼門院大原西陵 ⑨孤 雲 (茶室)⑩鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』

 

 

 

 建礼門院(けんれいもんいん)


第3代の建礼門院徳子平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、

文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称しました。

そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、

わが子(安徳天皇)の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされました。

 

 

 

 山門と寂光院本堂

 

 

 

桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、

平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失した。

再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、

5年の歳月を経て平成17年6月2日に落慶した。

ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。


 

 

 

 

 

 

 

 

汀の池 (みぎわのいけ)

 

池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ

 (『平家物語』大原御幸)


文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首である。

都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もない奥山の里で、庭の若草が茂り合い、

青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、

お堂の汀池の浮き草が,波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が、

うら紫に咲いている色、

青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもの。

この時の汀の池と桜は今も本堂前に平家物語当時そのままをしのぶことができます。

 

 

 

 

 

四方正面の池

 

本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設ける。

池の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、

四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されている。

 

 

諸行無常の鐘楼

 

本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、

諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっています。

 

 

千年姫小松 由来

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す

おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ

 

平家物語

 

 

千年姫小松 (御神木)

 

 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる

中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 

  

(『平家物語』大原御幸)



本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、

その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といった。

姫子松は細長く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、

いわゆる五葉松のことである。

寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものであったが、

平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、

池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、

とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採のやむなきに至り、

現在はご神木としてお祀りしている。

 

 

 

建礼門院御庵室跡 

健礼門院徳子さんがお住まいになっていた跡地

 

 

 

 

 

 二度目の来訪でしたが、冬の厳しさは想像出来ませんでした

当時は若かったのですね"(-""-)"

 

 

 

 

 

 

 三千院まで引き返してきました。

 

 

 参考文献 京都大原寂光院HP

 

  = 御朱印 =