☆高尾山山頂から下って薬王院へ
高尾山山頂から1号路で下山です。
通常の薬王院ご参拝と逆になり、仁王門や山門が上る(降りる)順で、
何だか変です、、が (*_*)
修行の地、高尾山修験道をテクテク歩いて(下って)行きます。
階段を下った場所に、鮮やかな極彩色の寺院が見えてきました。
正式には「高尾山薬王院有喜寺」といいます。
薬王院の名は創建当初、薬師如来を御本尊とした事に由来します。
現在は成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに真言宗智山派の三大本山として
広く知られています。
御本尊は「飯縄大権現」
不動明王の化身で、五つの相を併せ持ったお姿が特徴です。
大天狗
真っ赤な顔と高い鼻、団扇を持ったお姿が大天狗。
その神通力で開運をもたらします。
小天狗
青い顔にカラスのような嘴、剣を構えたお姿が小天狗。
別名烏天狗。その剣で魔を断ちます。
※天狗の階層は京都:鞍馬山の天狗様を参照 へ
社殿の左側 に神社
福徳稲荷
本尊:稲荷神
↓
一間社流造唐破風付の社殿で、極彩色の装飾がなされている
天狗社
本尊:大天狗・小天狗
高尾山に古くから住むといわれる天狗を祀っている。
大小2社の神社からなっている。両社とも一間社流造である。
↓
( 振り返って)
社殿へ続く石段の両脇には、不動明王に仕える童子たち?
以前「大山寺」で見たのと・・
御本堂
赤色は大天狗、青色は小天狗 (これを覚えるといいですね)
「 眼」の石車
赤字で書いている石車をクルクル
寛永古鐘
御本堂
開山本尊:薬師如来
中興本尊:飯縄権現
現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたものである。
彩色は施されていないが、彫刻で装飾されている。
入母屋造である。堂内には護摩壇がある。
五色の紐を御本尊様とつながっております。
軽く手に持って「なむいづなだいごんげん」と唱えます。
(もちろん、私は知らなくてやり直し、、)
大天狗様
小天狗様
天狗の落とし文
今風 「QRコード」で
仁王門
( 振り返って)
縁結び
金色の鈴が眩いほど・・
願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)
これはご本尊様の智慧の輪です。
願いを掛けながらくぐり、その奥にある大錫杖をご本尊様に願いが
届くように、高らかに鳴らして更なる諸願成就を祈願します。
その時、住所と名前を忘れずに唱えるようにするそうです。
輪潜りの輪は通常は茅(かや)の葉を束ねているのをみます。
錫杖(しゃくじょう)とは、遊行僧が携帯する道具の一つである杖。
煩悩を除去し、智慧を得る効果があるそうです。
修行僧は通常手持ちの小を持って鳴らしているのをみました。
手水舎
これは歴史を感じますね
↓
高尾山の仁王門を潜るとすぐに、六根清浄石車があります。
六根は目、鼻、耳、舌、心、体の6つの感覚器のことで、
六根清浄とは、
人間の大切な感覚器官を指し、物事を見つめる眼、匂いをかぐ鼻、
音を聞く耳、味覚を味わう舌、感覚を感じる身、
以上の大切な情報を判断する意(心)が清らかになる願いを
神仏に祈る意味があります。
六根清浄は、霊山に苦労して登ることによって可能だとされているそうです。
「懺悔・懺悔・六根清浄」と唱えながら
霊山を登るのはその意味があったのですね。
( 振り返って)
参道にでました。(1号路)
高尾山杉並木
開運 ひっぱり蛸
菊地ただし著「とんとん昔話」第十二話によれば、
高尾山の天狗(てんぐ)衆にかかわる話。
昔、飯縄(いづな)大権現参詣の人々のために、
天狗衆が参道を整備していた。
ところが、根を四方に張った大杉に至り、思案の末に翌朝、
これを引き抜くことを決めた。
それを知った杉はあれ!一大事とばかりに
一夜にして根をくるくると縮めてしまったそうです。
そして、この盤根が「たこの足」に似ていることから命名されたという。
道を開いたところから開運杉とも呼ばれています。
「たこ杉」
樹高37m、目通り約6m、推定樹齢450年
*********************************************************
参考文献:高尾山薬王院公式HP
高尾通信
高尾登山電鉄株式会社
*********************************************************
次はサル園・野草園へ
(つづく)
☆2月の高尾山
お天気快晴の予報で、なまった体を動かしたくて高尾山にでかけた。
電車で1時間半位だが、早朝時間は人もまばらで車窓からも暖かさを感じながら。。。
まず富士山を見、
そして薬王院ご参拝・野草園(セツブンソウ・ザゼンソウ・フクジュソウ)。
上りは稲荷山コースで、下りは1号路を選び薬王院・野草園に立ち寄ります。
実は、前回は車でしたので「高尾山口駅」から行ったことはなく、
少しだけど誰かの後について(*´▽`*)
京王高尾山口駅を出ると、すぐ右折、、
小川沿いを歩き、右側へ、、
高尾山へのケーブルカー&リフト乗り場、
この左にある道を進んでいくと稲荷山コース。
始めから山道は急坂ですが、一歩一歩と歩き慣らしながら前に前に。
左側は視界が開け気持ちが良い。
急な上りを息を切らせながら登って行くと、
稲荷山コースの由来にもなっている「旭稲荷」が鎮座しています。
こちらの祠は山道より、太陽が射して、、
ちょっとした休憩場所(境内?)になっています。
まだまだ200m
ゴーゴー走行音は、高速:圏央道・中央道から、。下は甲州街道!
なるほど、スズメバチも必要不可欠なのですね。
ハチは好きではないけれど、、
山登りは、なるべく黒色は避けています。
沢山の人が踏み慣らした山道は歩きやすい所もあり。。
根っこがむき出しになっており、階段状になっている先は「展望台」
八王子市街地方向!
稲荷山コースは、大小のアップダウンを繰り返し、
比較にはならないが「塔ノ岳」に比べると、足慣らしには登りやすいコースです。
右の山側から、ほら貝を吹いている音が響きわたって聴こえてくる。
尾根歩きの山道は乾いていたが、
日影の場所は霜柱・雪が残りムシロを敷いていました。
回り込んだ登りの山道から、突然美しい富士山がはっきり見えたヽ(^o^)丿
雪に埋もれていたのか、倒れかけていたアオキの実。
テクテク、ココまで1時間弱で。
直登の階段を登れば山頂らしい!
まだまだつづく~
200段以上はあるかしら。。。
休みながらゼイゼイハァハァ、最後の力を振り絞って(`ヘ´)
着いた~☆
富士の左は丹沢山塊、右側は三ツ峰山かな。。
高尾山から初めて見た 美しい富士山、素晴らしい☆
Mt-Fuji
登山者の方々も、高尾山からこんなはっきり見えた富士山は初めて!と大感激☆
もこもこワンコはエディーちゃん、
高尾山 大見晴園地
高尾山ビジターセンターで「自然研究路マップ」を頂き、コースを確認へ
↓フォトは ⇒ 都の備蓄品で、まもなく賞味期限を迎えるクラッカー。
賞味期限は2月末日ですが、「食品ロス」の削減にどうぞ!という事で頂きました。
休憩後、帰り道の1号路でようやく 高尾山山頂へ 標高599m
topの標柱は立っていますが、この日の主役は Mt-Fuji
山頂は広場になっていて、、かすかに見える高層ビルは新宿?
一号路は先日の雪で、両サイドに雪が残っていますね。
下りは薬王院にお参り致します。
(つづく)
☆クロネコの「ニャァン」声は・・・
昨年6月初めから午後3時頃にお昼寝に来ているネコ
手前の草「リュウノヒゲ」の上で丸まって寝ている
飼いネコではないようなのだが、、雨が降った日は来ていないし
もともとどこかで暮らしていたのだから、心配しなくてもいいのだが
来ないとどこに行ったのか、と心配して、、、
オス・メスも分からないのに名前をつけようと思っていた
どこで暮らしているのか・・・
☆ 今日は2月14日 バレンタインデーです。
チョコは買い物のついでに、そこそこのを買っていますが、、
期待もしていないし、豆まきの次の行事といったところで(^_-)-☆。
1958年に 初のバレンタインフェアをデパートでしたのが「メリーチョコレート」
モロゾフの菓子職人だった原堅太郎は
1949年に東京都目黒区の小さい作業場でチョコレート製造を始めたのが始まり。
1958年2月 - 初のバレンタインフェア
時代は変わり2008年ロッテホールディングスの完全子会社になりました。
かつての丁寧さはなくなり、、
コージコーナと同じようにロッテの作り方に変わりました。
マコトニザンネン"(-""-)"
※はてなブログの皆様には強烈記事だと思いますが、、
を ご覧ください。
ところで、
半年前に現れたクロネコが発する「ニャアン~」の小声が庭でした。
久し振りの登場です。
実はクロネコのために、内緒で猫のご飯を買って待っていました。
慌てて、餌をとりに入ったところ、姿を消していた。
餌を受皿に入れ隠れていたところ、出てきて食べている。
カメラを向けると、へっぴりこしでムシャムシャ~
右目にヤニのようなモノが。
目と目が合った瞬間また逃げて、、慌てて餌を落とす
また隠れていると、、
落ち着いて食べさせるため、窓を閉めて撮りました(*^^*)
2月13日に現れて、今日はまだ来ていな~い。
どこかでご飯は有りつけているのかしら。
☆大きなカメムシ 越冬探し。。
関東には珍しい大きなカメムシは福島・会津から運ばれてきました
正確にはくっついて来た
以前「山の家」があり晩秋になるとやたらログのすき間に入り込んでいた
この大きなカメムシはわが家に来て代々生きのびている
そして調べていると
↓
この2種類は「わるいカメムシ」に分類されていた
「よいカメムシ」
「ただのカメムシ」
気になる人はご覧ください
↓
*********************************************************
旧ブログより転載
昨年、山行途中、北ノ俣岳(標高2661m)でキレイなカメムシをみた。
石にしっかりとまって動かなかった
↓
☆昆虫も草花たちと同じで、出会いからドンドン広がっていく~ヽ(^o^)丿
カメムシ記事をまとめました。
☆京都 : 鞍馬の「大天狗」と「あうんの虎」
趣きある駅舎の窓ガラスには、京の鞍馬の雪景色
鞍馬駅前には、シンボルの大きな天狗のオブジェが、1月14日夜から
降り続けた雪の重みで、2.3mの鼻が根元から折れたニュースを、
前日、現地のニュースで知った。
まじかに見るとホンマ痛々しい(;´Д`)
その後のニュースで、補修までの、応急措置を
「ただいま治療中」
とバンドエイドを貼ったところ、外国人観光客が
「なんてキュートなの」と反応がとても良いらしい(≧▽≦)
下画像2点 出典
↑
鼻の素材は、ちなみに発泡スチロール製で耐久性は低い。
★鞍馬山の大天狗は天狗の総元締め
日本全国各地の霊山、
例えば「比叡山」、「飯綱山」、「白峰山」、「大山」、「彦山」、「愛宕山」等々には決まって天狗伝承があります。
この天狗様にはいろいろな階層もつけられています。
大天狗
小天狗
烏天狗(からす・てんぐ)
木の葉天狗(このは・てんぐ)
なかでも、ここ鞍馬山の「大天狗」は【僧正坊】と呼ばれ日本各地の天狗様の「総元締め」として、
また僧正が谷は総本山ともいえる場所として語り継がれています。
天狗は古くから「山岳信仰」とかかわりがあり、修験者が守護神として祀っていたが、
中世以降山伏の堕落もあり天狗を妖怪な「魔物」とみなす風習もうまれるなど、
時代ともに姿やイメージも変遷してきました。
ソース元
叡山鉄道「鞍馬駅」から山門まで徒歩5分
仁王門(山門)
明治44年の再建。左側の扉は、 寿永の頃(1182~4)のもの。
両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶作と伝承。
浄域への結界
階段の参道を上がっていきます
九十九折参道へ
普明殿を少し過ぎると右手に 「放生池」「吉鞍稲荷社」「魔王の滝」 。
。
吉鞍稲荷社、(左)鬼一法眼社
『義経記』で義経は、兵法の大家、鬼一法眼から兵法書 『六韜』 を盗み、
学んだとされています。
鬼一法眼社
鬼一法眼を祀る社では武芸の上達に御利益があるそうです。
由岐神社
由岐神社の祭神の「靫明神」は、
鞍馬の火祭は、
里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものだと伝承。
正面は 御神木
(振り返って)
舞台造りの拝殿の中を、石段が通り珍しい割拝殿
桃山建築 重要文化財
さらに参道階段を歩いて由岐神社
本殿へ
この由岐神社の狛犬は、いわゆる「宋風獅子」といわれている。
大きな特徴は、片方が子を抱き、一方が毬をとるという形が多い。
⇐拝借しました出典
※九州地方の狛犬に似ています
↑
由岐神社の先は積雪多しで断念、引き返しました。
ロープウェイ 多宝塔駅から 多宝塔
多宝塔
ロープウェイ 多宝塔駅から参道を進むと、やがて、弥勒堂に到着。
そこを過ぎると、九十九折(つづらおり)参道と合流し、転法輪堂に至る。
雪かきした参道を(*´Д`)ハァハァ登って着ました
本殿金堂
鞍馬寺の 本殿金堂
金剛床宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する
千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を
奉安する中心道場。
御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。
本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。
毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによります。
「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、
宇宙の全てを包含すると言われています。
本殿金堂前の金剛床は、
宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、
内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する
修行の場となっています。
お土産を買いました☆
「あうんの虎」
「阿吽」は、ものごとの初めと終りー宇宙のすべてを表し、
鞍馬山では「すべては尊天にてまします」と唱えて、転禍為福を祈ります。
「あうんの虎」は古くから魔除けとして、新春のみ授与されています。
寄せ集め 仮神棚に置いてみました。
愛くるしい「あうんさま」でございます( *´艸`)
この広場には中央に
金剛床(金堂前の六芒星のようなマーク )があるのですが、雪の中。
内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するという
鞍馬山の教えの理想を表現しているそうです。
トレッキングシューズを履いていましたが、これ以上前進は諦め
引き返します。
= 御朱印 =
☆京都大原魚山 静かな古刹 来迎院
魚山橋の東呂川に沿って山道を300mほど登り、
下界と隔絶した雰囲気をもつ天台宗の古刹。
来迎院は、延暦寺の別院です。
平安時代前期、慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したのが始まりと伝えらています。勝林院とともに、天台声明の中心として、大原では隆盛を極めていました。
1109年(天仁2年)融通念仏の祖とされる聖應大師良忍がこの寺に入寺して再興されました。
本堂
本堂には
木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像を安置
(重要文化財)
参考文献wiki
本堂内は撮影禁止
雪かきをしてた手を休めて、御朱印を書いて頂きました☆
シーンとした人里離れたお寺さんで、 参拝者はひとり
※鞍馬に移動するバス時間の関係で駆け足参拝。
下界と隔絶した雪景色大原の古刹は、
本来の姿を現したように静寂で無の世界を誘っています。
ある意味で今回の古寺巡りは、山行に近いものを感じ、
澄んだ景色はとても新鮮でした。
また再び近いうちに大原に足を運びたい(*‘∀‘)。
大原六寺院(寂光院・三千院・実光院・勝林院・宝泉院・来迎院)
🌠当日は、予定時間の京都バスにも遅れ、
叡山電鉄は積雪・倒木?のため不通になっていました 。
= 御朱印 =
☆京都大原:水墨画の世界 宝泉院の五葉松
宝泉院の山門から見事な樹齢700年のゴヨウマツが聳えて輝いています。樹高11m、枝張りは南北に11.5m、東西に14mと巨大なもので市指定の天然記念物。もし寂光院の姫小松(ゴヨウマツ樹高15m)が火災(平成12年)に遭わなければ、大原のお寺の天然記念物が共に輝き、年月の僧坊たちを見つめていたかもしれない。
「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだのは高浜虚子
宝泉院は大原寺( 勝林院)の僧坊 その道場で修業をするお坊さんの
宿坊として1013年(長和2年)に創建されたものです。
それでは拝観致します。
鶴亀庭園
江戸中期作、部屋の中から格子越しに観賞する。
池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木を蓬莱山とみる、
がすべて雪の中。
美しい「額縁の庭園」
盤桓園には樹齢300年の[沙羅双樹の木]wiki の見事な枝ぶりが
モノクロの世界に引き立っています。
※盤桓園とは(立ち去りがたいという意味、額縁庭園とも言う)
。
水琴窟の音に耳を傾けながらしばし無の境地で・・・
茶菓付で拝観料は800円、
先の実光院では 茶菓付でしたが、
茶菓付を断念するとお安くして頂きました(#^.^#)
日本の静謐な奥ゆかしさは、無我の境地に滴れます。
豊臣の大軍と戦い伏見城 中で自刃した。
伏見城中で自刃した武将たちの霊を弔うのに、
床板を天井の板として祀り、供養としています。
= 御朱印 =
大原魚山 來迎院へ