じょじょ’s blog

日々の暮らし<山歩き、高山植物、草花、生き物、神社仏閣etc>、

☆京都大原魚山 静かな古刹 来迎院

 

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魚山橋の東呂川に沿って山道を300mほど登り、

下界と隔絶した雰囲気をもつ天台宗の古刹。

来迎院は、延暦寺の別院です。

 

 

 

平安時代前期、慈覚大師円仁天台声明の道場として創建したのが始まりと伝えらています。勝林院とともに、天台声明の中心として、大原では隆盛を極めていました。

1109年(天仁2年)融通念仏の祖とされる聖應大師良忍がこの寺に入寺して再興されました。

 

  

 

 

 

 

 

 

 本堂

 

 

 

本堂には

 木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像を安置

重要文化財

参考文献wiki  

 

 

本堂内は撮影禁止

 

 

 

 

 

雪かきをしてた手を休めて、御朱印を書いて頂きました☆

 

 

 

 

シーンとした人里離れたお寺さんで、 参拝者はひとり

 

 

 

 

※鞍馬に移動するバス時間の関係で駆け足参拝。

下界と隔絶した雪景色大原の古刹は、

本来の姿を現したように静寂で無の世界を誘っています。

ある意味で今回の古寺巡りは、山行に近いものを感じ、

澄んだ景色はとても新鮮でした。

また再び近いうちに大原に足を運びたい(*‘∀‘)

大原六寺院(寂光院三千院・実光院・勝林院・宝泉院・来迎院)

 

大原Map図

 

🌠当日は、予定時間の京都バスにも遅れ、

叡山電鉄は積雪・倒木?のため不通になっていました 。

 

 

  = 御朱印 =

 

 

 

 

 

☆京都大原:水墨画の世界 宝泉院の五葉松

 

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 宝泉院の山門から見事な樹齢700年のゴヨウマツが聳えて輝いています。樹高11m、枝張りは南北に11.5m、東西に14mと巨大なもので市指定の天然記念物。もし寂光院の姫小松(ゴヨウマツ樹高15m)が火災(平成12年)に遭わなければ、大原のお寺の天然記念物が共に輝き、年月の僧坊たちを見つめていたかもしれない。

大原や 無住の寺の 五葉の松と詠んだのは高浜虚子

 

 

 

 

宝泉院は大原寺( 勝林院)の僧坊 その道場で修業をするお坊さんの

宿坊として1013年(長和2年)に創建されたものです。

 

 それでは拝観致します。

 

 

 

 

 

 鶴亀庭園

 

江戸中期作、部屋の中から格子越しに観賞する。

池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木を蓬莱山とみる、

がすべて雪の中。

 

 

 

 

  美しい「額縁の庭園」 

 

盤桓園には樹齢300年の[沙羅双樹の木]wiki の見事な枝ぶりが

モノクロの世界に引き立っています。

盤桓園とは(立ち去りがたいという意味、額縁庭園とも言う)

 

 

 

水琴窟の音に耳を傾けながらしばし無の境地で・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶菓付で拝観料は800円、

先の実光院では 茶菓付でしたが、

茶菓付を断念するとお安くして頂きました(#^.^#)

 

 

 

 

 

 

 

  日本の静謐な奥ゆかしさは、無我の境地に滴れます。

 

 

 

 

血天井

 

慶長五年関ヶ原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が

豊臣の大軍と戦い伏見城 中で自刃した。


伏見城中で自刃した武将たちの霊を弔うのに、

床板を天井の板として祀り、供養としています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   = 御朱印 =

 

 

 

大原魚山 來迎院へ

 

 

☆京都大原:水墨画の世界 勝林院 「天台声明の道場」

 

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勝林院は、835年円仁によって開かれ、1013年寂源によって中興されたと伝えられる。

古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であった。

1186年には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答)がこの寺で行われた。

江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)があったが、

現在は宝泉院・実光院の2院が残る。

 

日本音楽の源である天台声明発祥の寺。

お経を歌のように唱える声明(しょうみょう)は、

大原の里山に響く声明は、厳かに鳴り響き清められた空気が流れていた。

 

         ※大原を涼やかに流れる、呂川と律川。

「呂律が回らない」との表現は

短調の呂曲・長調律曲からなる声明から派生したものですが、

大原の二つの川にこの名を冠していることからも、

この地が声明の本拠であることがわかります。

ここ勝林院は、声明の根本道場として1023年に大原に初めて開かれたお堂。

天井の高い本堂の中は、ひんやりした空気が漂う厳粛な雰囲気です。

参照=京都大原観光Map

 

 



 

 

本尊は「大原問答」の時手から

光明を放ち法然が正しい証拠を示したとされる”証拠の阿弥陀”踏出阿弥陀如来

他にも十一面観音菩薩像、普賢菩薩像、法然上人御木像が祀られています。

 

 

 

本堂

正面柱は(右)勝林院(左)大原問答

石造宝篋印塔(ほうきょういんとう) 重要文化財

 

 

梵鐘(ぼんしょう) 重要文化財

 

 

 

お堂は安永7年(1778年、徳川家治の頃)に再建され、縁起が刻まれた擬宝珠(ぎぼし)wiki もこの時のものです。

屋根は椹板(さわらいた)で葺いた「柿葺き(こけらぶき)」柱、梁など軸組

床板などすべてが欅造り(けやきづくり)となっています 。

雪景色で柿葺きが分かりませんね(*_*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   = 御朱印 =

 

 

 

 

 宝泉寺へ

 

☆京都大原:水墨画の世界 実光院の不断桜

 

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                                  大原三千院の北側にある天台宗の寺院です。

三千院の参道を進んで三千院の前を通り過ぎ、律川にかかる赤い橋を渡った先です。

 

 

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                                                               正面は勝林院

 

              実光院は、すぐそばにある勝林院の子院として建立されました。

勝林院は、仏教音楽である声明(しょうみょう)を伝承するために平安時代の中期に建立された寺院で、

子院である実光院、宝泉院を含めて天台声明の根本道場として知られています。 

 

天台宗の法要儀式に用いられる仏教声楽を、「魚山声明(天大声明)」といいます。

「声明」とは、経典や高僧が著した論釈の文言に、独特の旋律を付けて唱えることを指す言葉です。

大原で伝承されてきた「魚山声明(ぎょざんしょうみょう)」は、

平安時代に慈覚大師円仁(794~864)によって唐から伝えられました。

「魚山」とは、中国山東省に所在する声明の聖地「魚山」の名にちなんだものです。 

 

 

 

 実光院は魚山大原寺 勝林院を本堂におく僧坊のひとつ。

 
本尊は地蔵菩薩座像で脇には不動明王像と毘沙門天像を安置。

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代後期の作庭で、律川より水を引く心字の池を中心とした。

旧普賢院以来現存する池泉鑑賞式の「契心園」 ですが・・

凍った池の中の鯉はどうしているのでしょうか?

 

 

 

 

 

 欄間には江戸時代中頃に狩野派の絵師 「三十六詩仙」が飾られています。

 中国の漢から宋の時代に至るまでの歴代の詩人。

 

 

 

 

 客殿の西側には、勝林院の子院であった旧理覚院の庭園は銀幕の雪景色。

池泉回遊式の庭園ということですが、歩きにくい!積雪何センチでしょうか?

ザクザク歩き、不断桜や残り柿を撮ってみました。

 

 

 

 

 

 

 庭園の中央に植えられた不断桜(ふだんざくら)は、初秋から翌年春にかけて花を咲かせる。

ヤマザクラオオシマザクラの交雑種。

 三重県鈴鹿市に原木があるそうです。

主幹がなく、横から徒長した枝により株立ち状に成長しています。

 

 

 

 

雪をかぶった不断桜 

 

 

↑   実光院Facebook 拝借しました(;´∀`)

 

 

 

 

餌が豊富なのか残り柿ですね、(これから?)

 

 

 

 

 

 参考文献 HP

 

  = 御朱印 =

 

 

 

勝林院へ 

 

 

 

 

☆京都大原 三千院の冬景色

 

 

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 雪景色の三千院に参りました。

木漏れ陽の射し込む苔庭は、訪れた参拝者にホッと安らぎを与えていました。

今は真っ白な銀世界に入っています。

 

jyojyo32.hatenablog.com

 

↑(過去記事)に風薫る5月の三千院をご覧いただいて、、、

京都洛北・大原三千院の雪深い四季の一部見えてきます。

 

 

真っ白なので、わずかな手掛かりにMapを添付して

 

 

御殿門

 

 

 

 

 

 

 

 

聚碧園

 

 

ツツジの庭木はふんわりマシュマロ

 

 

 

 

 宸殿からの出口の先は、 有清園

 

 

 往生極楽院(本堂) 

 

 

わらべ地蔵さまが、、、

 

 

 

 宸殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色不動堂

 

 

 観音堂

 

 

 

 

 

 

大原エリアのお寺さんへ、もう少し歩いてきます

おぉおおお寒い!

 

 

 

☆☆京都大原 三千院 (過去記事2015年春)

 

嵐山から北東へ進んで大原の里に来ました

細い坂道を走りながら駐車場を探しは、三千院近くに停めることができた

三千院門跡

 

木漏れ日と新緑、空気も爽やか

早いお参りだったのでお店が空いてないところもあったり・・

 

 

三千院は2回目、あまり記憶に残っていない、その時は寂光院も行ったのかな?

そんな薄れた記憶を思い出しながら拝観

 

 

 

三千院境内図

 

 靴を脱いでビニール袋に入れて、案内の順路に沿って拝観します

豊臣秀吉が建てたとされる風格のある<客殿>から見える庭園

 

聚碧園(しゅうへきえん) 

 

 

客殿の縁側に赤い毛氈を敷いた場所があり「お抹茶」を頂く

 

 

お手まいを頂きながら、美しい静かな庭園を見ていると時間も忘れますね

 

 

風情のある回廊を歩いて、階段をあがったところ<宸殿>

ここで靴を履きお庭に出ます

 

 

 有清園(ゆうせいえん)

新緑と苔の景観は、新たな世界を導き心を和ませる優しさを感じました

 

 

往生極楽院(本堂) 

お堂の中は金色に輝く阿弥陀三尊像(平安時代の作)

(台湾から来た方でしょうか、TVで見る中国式、仏様に頭を垂れるのは日本人以上かもしれない)

 

 

 

目前に<阿弥陀三尊像>の慈悲深いお姿は、世界共通で超越したものを感じます

 

 

石燈籠は結界でしょうか、神々しい

 

 

 往生極楽院の裏手、苔庭に<わらべ地蔵さま>

頭だけあるのでビックリしましたが、寝ころがって顔に頬杖ついているのですね

色々な表情のわらべ地蔵さまが後5体います

 

 

金色不動堂へ向かう山道の途中にある<弁財天さま>

 

 

<都忘れ>が一面に咲いていた

 

 

<アマドコロ>

 

 

 

 途中休憩小屋?があり、「どうぞ」と声をかけてくれた

 

 

<大原のしそ茶>でしょうか、↑ のことでしょうか?

すっぱい、さっぱりしたお茶でした

 

 

 

<小紫陽花(こあじさい)> 青いシモツケソウみたいですね

 

 

 

案内順路に沿って杉林の中を進みます 

 

 

<石仏> 阿弥陀如来像 (鎌倉時代

 

 

 色鮮やか<石楠花(シャクナゲ)> そろそろ終わり頃でした

 

 

 

ヤブコウジ>でしょうか、赤い実が可愛い

 

 

朱雀門> この朱色は周りの風景と調和していいですね

 

 

何度振り返っても心に残る 有清園

 

 

 大原三千院はとても癒される場所でした

自分を見つめ直す場所選びにいかがでしょうか、ふところの大きな優しさがあるんですね

また訪れたい場所でした

 

 

 

 駐車場につづく大原の町並み

 

 

 

 

☆ 猫のしっぽカエルの手 のベニシアさんが住んでいるのも、大原ですね

 

追記 2017.2.4 

●新作「猫のしっぽカエルの手2017 ~冬~」放送が決定しました!
寒さ厳しい冬の京都・大原。ベニシアさんと仲間たちの豊かな冬の暮らしをお届けします。
<放送予定>
・2月5日(日) Eテレ 午後3:00~3:50 「冬~京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし~」新作
・2月12日(日)Eテレ 午後6:00~6:30 vol.102「受け継がれるもの」新作
・2月19日(日)Eテレ 午後6:00~6:30 vol.103「古民家ぐらし」新作

 

※旅行日時 2015年5月26日

 

 

☆京都洛北:銀世界の寂光院

 

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京都駅から地下鉄烏丸線 ⇒ 国際会館駅 京都バス ⇒ 大原バス停下車

 一面美しい銀世界☆

三千院の前に寂光院に先に参ります、約1km(雪道で20分位)

 

 

 

 

 

 

 

寂光院 本堂  ②千年姫小松  汀の池  ④雪見燈籠

建礼門院御庵室跡  ⑥諸行無常の鐘楼  ⑦四方正面の池

建礼門院大原西陵 ⑨孤 雲 (茶室)⑩鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』

 

 

 

 建礼門院(けんれいもんいん)


第3代の建礼門院徳子平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、

文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称しました。

そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、

わが子(安徳天皇)の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされました。

 

 

 

 山門と寂光院本堂

 

 

 

桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、

平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失した。

再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、

5年の歳月を経て平成17年6月2日に落慶した。

ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。


 

 

 

 

 

 

 

 

汀の池 (みぎわのいけ)

 

池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ

 (『平家物語』大原御幸)


文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首である。

都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もない奥山の里で、庭の若草が茂り合い、

青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、

お堂の汀池の浮き草が,波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が、

うら紫に咲いている色、

青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもの。

この時の汀の池と桜は今も本堂前に平家物語当時そのままをしのぶことができます。

 

 

 

 

 

四方正面の池

 

本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設ける。

池の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、

四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されている。

 

 

諸行無常の鐘楼

 

本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、

諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっています。

 

 

千年姫小松 由来

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す

おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ

 

平家物語

 

 

千年姫小松 (御神木)

 

 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる

中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 

  

(『平家物語』大原御幸)



本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、

その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といった。

姫子松は細長く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、

いわゆる五葉松のことである。

寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものであったが、

平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、

池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、

とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採のやむなきに至り、

現在はご神木としてお祀りしている。

 

 

 

建礼門院御庵室跡 

健礼門院徳子さんがお住まいになっていた跡地

 

 

 

 

 

 二度目の来訪でしたが、冬の厳しさは想像出来ませんでした

当時は若かったのですね"(-""-)"

 

 

 

 

 

 

 三千院まで引き返してきました。

 

 

 参考文献 京都大原寂光院HP

 

  = 御朱印 =