じょじょ’s blog

日々の暮らし<山歩き、高山植物、草花、生き物、神社仏閣etc>、

☆京都大原 三千院の冬景色

 

 

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 雪景色の三千院に参りました。

木漏れ陽の射し込む苔庭は、訪れた参拝者にホッと安らぎを与えていました。

今は真っ白な銀世界に入っています。

 

jyojyo32.hatenablog.com

 

↑(過去記事)に風薫る5月の三千院をご覧いただいて、、、

京都洛北・大原三千院の雪深い四季の一部見えてきます。

 

 

真っ白なので、わずかな手掛かりにMapを添付して

 

 

御殿門

 

 

 

 

 

 

 

 

聚碧園

 

 

ツツジの庭木はふんわりマシュマロ

 

 

 

 

 宸殿からの出口の先は、 有清園

 

 

 往生極楽院(本堂) 

 

 

わらべ地蔵さまが、、、

 

 

 

 宸殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色不動堂

 

 

 観音堂

 

 

 

 

 

 

大原エリアのお寺さんへ、もう少し歩いてきます

おぉおおお寒い!

 

 

 

☆☆京都大原 三千院 (過去記事2015年春)

 

嵐山から北東へ進んで大原の里に来ました

細い坂道を走りながら駐車場を探しは、三千院近くに停めることができた

三千院門跡

 

木漏れ日と新緑、空気も爽やか

早いお参りだったのでお店が空いてないところもあったり・・

 

 

三千院は2回目、あまり記憶に残っていない、その時は寂光院も行ったのかな?

そんな薄れた記憶を思い出しながら拝観

 

 

 

三千院境内図

 

 靴を脱いでビニール袋に入れて、案内の順路に沿って拝観します

豊臣秀吉が建てたとされる風格のある<客殿>から見える庭園

 

聚碧園(しゅうへきえん) 

 

 

客殿の縁側に赤い毛氈を敷いた場所があり「お抹茶」を頂く

 

 

お手まいを頂きながら、美しい静かな庭園を見ていると時間も忘れますね

 

 

風情のある回廊を歩いて、階段をあがったところ<宸殿>

ここで靴を履きお庭に出ます

 

 

 有清園(ゆうせいえん)

新緑と苔の景観は、新たな世界を導き心を和ませる優しさを感じました

 

 

往生極楽院(本堂) 

お堂の中は金色に輝く阿弥陀三尊像(平安時代の作)

(台湾から来た方でしょうか、TVで見る中国式、仏様に頭を垂れるのは日本人以上かもしれない)

 

 

 

目前に<阿弥陀三尊像>の慈悲深いお姿は、世界共通で超越したものを感じます

 

 

石燈籠は結界でしょうか、神々しい

 

 

 往生極楽院の裏手、苔庭に<わらべ地蔵さま>

頭だけあるのでビックリしましたが、寝ころがって顔に頬杖ついているのですね

色々な表情のわらべ地蔵さまが後5体います

 

 

金色不動堂へ向かう山道の途中にある<弁財天さま>

 

 

<都忘れ>が一面に咲いていた

 

 

<アマドコロ>

 

 

 

 途中休憩小屋?があり、「どうぞ」と声をかけてくれた

 

 

<大原のしそ茶>でしょうか、↑ のことでしょうか?

すっぱい、さっぱりしたお茶でした

 

 

 

<小紫陽花(こあじさい)> 青いシモツケソウみたいですね

 

 

 

案内順路に沿って杉林の中を進みます 

 

 

<石仏> 阿弥陀如来像 (鎌倉時代

 

 

 色鮮やか<石楠花(シャクナゲ)> そろそろ終わり頃でした

 

 

 

ヤブコウジ>でしょうか、赤い実が可愛い

 

 

朱雀門> この朱色は周りの風景と調和していいですね

 

 

何度振り返っても心に残る 有清園

 

 

 大原三千院はとても癒される場所でした

自分を見つめ直す場所選びにいかがでしょうか、ふところの大きな優しさがあるんですね

また訪れたい場所でした

 

 

 

 駐車場につづく大原の町並み

 

 

 

 

☆ 猫のしっぽカエルの手 のベニシアさんが住んでいるのも、大原ですね

 

追記 2017.2.4 

●新作「猫のしっぽカエルの手2017 ~冬~」放送が決定しました!
寒さ厳しい冬の京都・大原。ベニシアさんと仲間たちの豊かな冬の暮らしをお届けします。
<放送予定>
・2月5日(日) Eテレ 午後3:00~3:50 「冬~京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし~」新作
・2月12日(日)Eテレ 午後6:00~6:30 vol.102「受け継がれるもの」新作
・2月19日(日)Eテレ 午後6:00~6:30 vol.103「古民家ぐらし」新作

 

※旅行日時 2015年5月26日

 

 

☆京都洛北:銀世界の寂光院

 

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京都駅から地下鉄烏丸線 ⇒ 国際会館駅 京都バス ⇒ 大原バス停下車

 一面美しい銀世界☆

三千院の前に寂光院に先に参ります、約1km(雪道で20分位)

 

 

 

 

 

 

 

寂光院 本堂  ②千年姫小松  汀の池  ④雪見燈籠

建礼門院御庵室跡  ⑥諸行無常の鐘楼  ⑦四方正面の池

建礼門院大原西陵 ⑨孤 雲 (茶室)⑩鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』

 

 

 

 建礼門院(けんれいもんいん)


第3代の建礼門院徳子平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、

文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称しました。

そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、

わが子(安徳天皇)の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされました。

 

 

 

 山門と寂光院本堂

 

 

 

桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、

平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失した。

再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、

5年の歳月を経て平成17年6月2日に落慶した。

ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。


 

 

 

 

 

 

 

 

汀の池 (みぎわのいけ)

 

池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ

 (『平家物語』大原御幸)


文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首である。

都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もない奥山の里で、庭の若草が茂り合い、

青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、

お堂の汀池の浮き草が,波に揺れ池の中島の松にかかっている藤が、

うら紫に咲いている色、

青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもの。

この時の汀の池と桜は今も本堂前に平家物語当時そのままをしのぶことができます。

 

 

 

 

 

四方正面の池

 

本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設ける。

池の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、

四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されている。

 

 

諸行無常の鐘楼

 

本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、

諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっています。

 

 

千年姫小松 由来

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す

おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ

 

平家物語

 

 

千年姫小松 (御神木)

 

 池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる

中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 

  

(『平家物語』大原御幸)



本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、

その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といった。

姫子松は細長く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、

いわゆる五葉松のことである。

寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものであったが、

平成12年(2000)5月9日の不慮の本堂火災とともに、

池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、

とくに「姫小松」は倒木の危険があるため伐採のやむなきに至り、

現在はご神木としてお祀りしている。

 

 

 

建礼門院御庵室跡 

健礼門院徳子さんがお住まいになっていた跡地

 

 

 

 

 

 二度目の来訪でしたが、冬の厳しさは想像出来ませんでした

当時は若かったのですね"(-""-)"

 

 

 

 

 

 

 三千院まで引き返してきました。

 

 

 参考文献 京都大原寂光院HP

 

  = 御朱印 =

 

 

 

 

☆京都:世界遺産平等院

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10円硬貨で見慣れている平等院鳳凰堂へ参りました。 

HPコチラ

平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。

平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっています。

本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊。

 

 

 

 

 

 

平等院南門

 

 

平等院 旧南門 安土桃山時代

 

 

 

 

 拝観料 大人600円の他に

鳳凰堂内部拝観

別途ご志納金 お一人300円が必要です。

内部拝観は50名ずつの制限があるようですが、

この時期はアジア系参拝者以外は少なく待つことなく拝観できました。

内部は撮影禁止です。、下記の平等院文化財をご覧ください

 

 

逆光で眩しいかったのですが落ち着いた赤茶は奥深い色です

 

2014年大規模修理を終えた世界遺産平等院鳳凰(ほうおう)堂

 赤茶色は創建当初の平安時代の趣を取り戻すため、

柱などに塗り直した赤茶色の顔料「丹土(につち)」の色は一般に「赤土」のことで、

「丹」と「朱」は同義語で赤色を示します。

神社の朱塗りの柱などに用いられるのは水銀朱。

水銀朱は硫黄と水銀を化合した「赤土(辰砂)」で、

朱はこの辰砂(しんしゃ)を粉砕して採取したものだそうです。

水銀朱はきわめて貴重なものであったために普通はベンガラが使用されていました。

 「赤」は「大」+「火」の会意文字であり、大いに燃える火の色をあらわし

「火」のように罪や穢れを祓い清めて悪霊を防ぎ追いはらう呪力を持つとされています。

 和の心手帖 参照 

 

 

 

 

 浄土式庭園 鳳凰堂

 

 

 

 

世界遺産 平等院

 

沿革

 永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。

この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、

極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。

その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、

平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。

約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。

 

平等院文化財 

 国宝仏像紹介、雲中供養菩薩像  

鳳凰堂に安置されている国宝仏像を解説しています

コチラ

 

 

 

 

不動堂

不動明王を本尊とする最勝院の本堂。

本尊と並び、役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られています。

隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂です。

 

 

 

 

 

 

 

浄土院

浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、

明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。

 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

宇治橋に出ました

 

 

 

※逆光で撮れなかったのですが、

10,000 円お札裏側に、立派な鳳凰画が描かれています。

 

 

 = 御朱印 =

 

 

 

 

 

 

 

☆京都 東山の奥座席:雲龍院

 

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京都 別格本山 雲龍  コチラ

真言宗 泉涌寺派 別格本山 雲龍

 

 

 

雲龍院は、南北朝時代後光厳天皇と三代にわたる菩薩寺院で

特に後円融天皇が写経の功徳をご信奉になり、妙法写経を発願され、

それ以降妙法写経の勤修は雲龍院に受け継がれております。

雲龍 wiki

 

※ 障子越しから望む雪景色を中心に投稿しています

 

お出迎えは、水の神  竜神様 

 

 

蓮華の間 左奥の席に座ると 

明かり障子から見える「椿」 「燈籠」 「楓」 「松」

 

 

本堂 龍華殿 

 

 

瞑想石

 

 

 

 

 

 

 

霊明殿前には徳川慶喜寄進の石灯籠があります

雪模様が菊のご紋のようで、自然の芸術ですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 書院悟之間 悟りの窓

 

 

 

 

 

 

= 御朱印 =

 

 

 

 

 

☆静寂冬の京都:東福寺

 

 京都最大級の大伽藍をもつ東福寺禅宗建築の宝庫

京都駅の東南に位置する東福寺臨済宗東福寺派大本山

京都随一の紅葉スポットとも言われて、賑わいを魅せていた錦絵の東福寺 

1月の凛と静寂な禅寺の建造物や文化財・園庭など歩いて観ました

 

 

 

 三門(右)

 

 

 

 

 

 

東福寺 方丈庭園 

 

東福寺本坊庭園の由来

 

 昭和14年6月27日~11月11日に作庭。

従来の日本庭園の意匠形態にはない、独自の新しい発想のもとに作庭された庭園である。本庭の意匠が画期的な形態となった大きな要因が、作庭にあたって唯一の条件として提示された、本坊内にあった材料は、すべて廃棄することなく、もう一度再利用するということであった。これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」から提示されたことで、これによって三玲の設計は、ある意味において、かなり厳しい制約が課せられたが、逆転発想で、日本文化の伝統的な意匠である市松模様が生まれたり、また東側の庭園に見られる北斗七星を表した構成が誕生したのである。作庭された空間は、従来までの日本庭園からは考えられないほど斬新な庭園が生まれた。このような結果となったのも、制約された中の美を最大限に追求した結果であり、禅の修行をしたことのない三玲が、必然的に禅の境地に入る結果となり、まさに不思議な因縁を感じる。

 

 ※重森三玲  昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。

昭和の作庭家重森三玲が手がけた4つの近代禅宗庭園は、

釈迦の生涯を意味する「八相成道」に因んで「八相の庭」と称されています。

 

 

 

 

東福寺本坊庭園のご案内参照

 

 本坊庭園 東庭(天の川)北斗七星

5つの円柱しか写っていません(◎_◎;)が、、

天の川を表す白川砂、苔、生け垣を配し夜空に輝く北斗七星に見立てています

 

 

 

南庭 恩寵門 (四つの神仙島、京都五山、須弥山、、)

方丈庭園の中でも最も広大な210坪の庭。

巨石によって力強く配置された四仙島と、円く描かれた砂紋の八海が配置されモダンな空間に。

3つの島には6メートルほどの長い石を寝かせ、その周囲を立石がバランスよく囲んでいます。

奥には京都五山にちなんだ築山の苔地があり砂紋と苔地の区切りも斬新。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北庭 (苔と板石による小市松) 

 

 

 

 

 

 西庭 西唐門  (井田を表した大市松模様)

 

 

昨秋から紅葉鑑賞禁止期間が設けられた 通天橋

 

 

 

 

五社大明神

 

 

 

 

 

 

 

 

通天橋 

仏殿・方丈から開山堂(常楽庵)に至る渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)に架けられた橋廊で、長さは約26m

 1380年(天授6年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは:普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる

 南宋径山(きんざん)の橋を模したもので「通天」と名付けられた

 現在の通天橋は、1959年(昭和34年)に台風で倒壊した後、1961年(昭和36年)に再建されたもの



 ここからの紅葉と新緑は絶景

 黄金色に染まる三ツ葉楓は開山の聖一国師が宋から伝えた唐楓といわれている

 

 


 

 

 

 

 

 

 

  常楽庵開山堂(重要文化財

 

 

 

 

 

 芬陀院(ふんだいん)

雪舟が作庭したと伝わる庭があることから、雪舟寺という別名があります

苔の美しい寺院としても名高く、庭園だけでなく参道の両脇に生育している苔も見事です

3月下旬頃になると垣根のツバキが見ごろを迎えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  水墨画の風景

 雪舟作の「鶴亀の庭」 

雪を覆った亀(右、UFOのような形?)が何となく分かります

         ↓

 

雪舟、涙で鼠を描くを解説 ⇒ 京都国立博物館 コチラ

 

日本最古の枯山水の庭園のひとつ

 

 

 

茶室

 

 

 

 

 

 臥雲橋(重要文化財

 

 

 

通天橋と臥雲橋は撮影禁止 期間:11月12日から11月30日

 臥雲橋は地域の住民の方の生活道路にもなっていて、朝や夕には通勤・通学にも使われています

最近の人混みでは、迂回をして通勤・通学をしなければならない人もいて、東福寺も頭を痛めていました

おそらく撮影禁止にしたところで渋滞が緩和されるとは思えませんが

せめて事故防止を徹底するためにも、今回の撮影禁止は苦渋の決断でした

 

 

 

 

 

  同聚院(どうじゅいん)は東福寺の塔頭

 

 

「じゅうまん」は十の下に万を書く

 

 

 

 

 

 

  参考文献 東福寺 HP

 

 

= 御朱印 =

 

   

 

  

 

 

 

☆残雪の京都:伏見稲荷大社山頂まで

 

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topフォトは楼門 この建物は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされています

 

1月中旬、京都に出かけていた

前日まで京都の積雪状況をTVでみながら、寒さ対策をし雪景色の京の都、

神社参詣の旅へ

 

最強の寒波を肌身に感じながら、早朝の伏見稲荷大社からスタート

 千本鳥居に代表される朱の鳥居が観光スポットとして著名になったことから

多くの外国人が稲荷三峯の辺りまでお参りする人が多くなった、そうだ

 

一ノ峯・二ノ峯・三ノ峯とは

その昔、イナリ神が降臨したとされる峯として、イナリ信仰の原点ともいうべき神蹟で、上社・中社・下社とも呼ばれる

 お山巡拝所要時間約2時間とあるが、廻り方では2・3時間を要するらしい

 今日は悪路なので慎重にお山巡拝します

 

 

 

 本殿

 

 

御祭神 

 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) - 下社(中央座)

佐田彦大神(さたひこのおおかみ)- 中社(北座)

大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) - 上社(南座

田中大神(たなかのおおかみ) - 下社摂社(最北座)

四大神 (しのおおかみ) - 中社摂社(最南座

 

  •   

 「お稲荷さん」は、元々は稲の字があることでも分かるように、

五穀豊穣を祈ったのではないだろうかと言われています

お狐さんが咥えているアイテムには

「玉(宝珠)」「鍵」「巻物」「稲」「子キツネ」・・など色々ありますが、

「玉(宝珠)」は霊の力、「鍵」はその霊力を引出すカギ、

「巻物」は神様からのお言葉、

「稲」は富、子キツネは「子宝」などを象徴しているのではないかと言われています

 

 

 

 

 手水舎 

 

 

 

 

幻想的な雰囲気を味わうことができます千本鳥居方向へ

 

 

 

 お山巡り入口 

千本鳥居のある辺りは神の降臨地である山の入り口にもあたり

現世から神様のいる幽界へと続く門として

多くの鳥居が建てられたのが始まりとされています

また、これらの鳥居は江戸~明治時代、参拝者の奉納により建てられたそうです

 

 

 

 千本鳥居

 

赤い鳥居と言えば、すぐさま人々は「おいなりさん」を連想します

この稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、

朱をもって彩色するのが習慣となっている

この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、

すべてに明るい希望の気持ちをその語感ににもち

その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の「みたま」

の働きとする強烈な信仰が宿っている

伏見稲荷大社HP

 

鳥居を奉納するのは、「願いが通るように」という素朴な願いから

といわれ、千本鳥居をはじめとして稲荷山中の鳥居は大小を問わず

信者から奉納されたものという。

鳥居の柱には奉納者の氏名(会社名)・住所・年月日などが墨書されている。

平成になってのそれも多々見うけられ、

遠隔地のものもあり、時代・地域を超えた稲荷信仰の広がりを示している。

 

 

 

 

 千本鳥居・内部

 

 

 

 奥社社殿

千本鳥居を出た辺りから積雪が目立つようになった

 

 

 

 

 

おもかる石

この場所で願いごとをしてから石を持ち上げ

持ち上げたときに感じる重さが想像より軽ければ願い事が叶い、

重ければ叶わないとされています

 

 

 

 稲荷塚

 

 

 

根上がり松

松の木をご神木とする拝所だったようで、

かつて2本の幹が片方がもち上がって連なっていたことから

 この松は、ネアガリとの呼称から投資家達から崇敬を集め、

また、その下を潜ると神経痛や肩こりに効用があるとの俗信があったという

 

 

 

 

 

ややこの辺りから本格的な上り坂になります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新池  谺ケ池(こだまがいけ)

 

 

 

            熊鷹社

 

朱の玉垣の向こうに緑の山影を映す池は

新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります

行方知れずになった人の居場所を探す時

池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめる

と云う言い伝えがあります

池に突き出た石積みに拝所が設けられ、熊鷹大神の御塚が鎮まっています

伏見稲荷大社HP=

 

 

 

 三ッ辻を越え、三徳社あたりでしょうか

まだ早くてお茶屋さんは開いていませんでした

 

 

 

 

 

 

 

 

階段は凍って滑りやすく、いよいよ本格的な山上り?になります(*´Д`)

 

 

 

 

 京都市内が一望

 

 

 冬登山と同じような・・・のぼり

 

 

 二ノ峯(中之社神蹟)

 

 

 ようやく一ノ峯(稲荷山山頂)が見えてきました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一ノ峯山頂(上之社神蹟) 標高233m

 

 

足元も悪く信仰心には程遠いいですが、朱の鳥居を目指し階段を上って、、、

早朝でしたので、観光者も少なく独り占めのような参詣でした

 

 

 

 

 

= 御朱印 =